更新日2023.6.3
- 日の出を見るため朝早く「シーサイド篠島」から海岸線へ!
- 篠島迷路に突入!!
- 篠島2日目第一目的地「神明神社」に到着!!
- 篠島2日目第二目的地「水神天宮(篠島城跡)」に到着!!
- 篠島2日目第三の目的地「神宮干鯛調製所」に到着!!
- 「愛知県南知多町篠島」での旅程をすべて終え帰宅!!
愛知県南知多町篠島旅行の1日目はひたすら島内を歩いていました…
2日目がようやく観光という感じかな?
・神明神社
・水神天宮(篠島城跡)
・神宮干鯛調製所
今回のブログは、2023年3月13日に出発した愛知県南知多町篠島旅行の2日目です。2日目は神明神社・水神天宮(篠島城跡)・神宮干鯛調製所に行きます。人生初の1人旅の2日目でございます。
それでは愛知県南知多町篠島旅行の後編の始まりです~。
日の出を見るため朝早く「シーサイド篠島」から海岸線へ!
2日目は日の出を見ようと思い5時30分に起床!
日の出は見れたのかな??
部屋の窓の位置がほぼ東向きのため、部屋から日の出を見ようという算段です。しかも、本日はほぼ雲のない晴天!これはいける!と思ったのですが…
よく見ると日が昇る場所だけ雲があるじゃないですか…なんか日が昇るところだけモザイクをかけたような雲の帯が…
そのため、堤防からなら見えるのではないかと考え寒い中外へ。しかし、部屋から見られないものが堤防から見えるはずがないですよね(笑)きっとまだ寝ぼけていたんだと思います…
結局、堤防からも部屋からも日の出を見ることはできず、モザイクを越えてきた太陽を部屋から眺めていました。
篠島迷路に突入!!
篠島の市街地にある小道は非常に魅力的です!
なんか映画のセットのような場所もあったよね
篠島は埋め立て地域以外起伏が激しく、車の通れない道が多くあります。そのため、旧市街地は迷路のようになっており、迷子になってしまうほどの構造をしています。
この「篠島迷路(かえるが勝手に命名)」を1日目に気に入ってしまったので、2日目も篠島迷路に突入しました。もうすでに足は痛いんですが、それでもついつい行ってしまうほど魅了されてしまいました。
場所によっては原付すら通り抜けるのが怖い幅の道や急坂、クランクなどもあり冒険しているような感覚がたまりません。そして、場所にもよるのですが、まるで映画のセットのような小道や坂を下ると海が見える小道などもあります。
こんな小道を歩いていたら楽しいに決まっていますよね。
そのため、前日に4時間弱歩いたにも関わらず、2日目も篠島迷路を1時間ほど散策することに…足はついにひざが痛くなってきました。でも、この後ももまだまだ歩きます。
…結局、篠島散策が楽しくて2日間で6時間くらい歩き通しました。
篠島2日目第一目的地「神明神社」に到着!!
篠島2日目最初の目的地「神明神社」に到着!
ホテル「シーサイド篠島」からだいぶ遠回りしたらしいね…
シーサイド篠島から「神明神社」までは徒歩8分くらいの距離ですが、篠島迷路を堪能していたため到着に1時間ほどかかりました。
神明神社の歴史は古く斎王倭姫命が尾張中島宮から海路渥美宮に渡航の途中に篠島に立ち寄り、神明神社の地を御神界と定め荒御魂をお祀りしたそうです。そして、宝亀2年(771年)には、伊勢神宮より土之宮三座を勧請し伊勢土之宮と称するようになりました。
神明神社からは貝塚も発見されており、この貝塚からは縄文土器が発掘されています。篠島は昔から人が住み生活をしていた場所なんですね。
また新年3日には神様が神明神社にお渡りになるそうです。このお渡りは絶対に見てはならないものとされ、篠島の島民はすべて家に引きこもり雨戸も閉めて灯りも落とすそうです。この風習が続いているかはわかりませんが、神様とも密接につながっている地域だなと感じます。
歴史は古く700年代後半には存在していたという記録がある。
交通安全、海上安全の神として厚く信仰されている
神明神社 地図
神明神社 施設情報(表はスクロールできます)
篠島2日目第二目的地「水神天宮(篠島城跡)」に到着!!
かえるはあまり「感じるタイプではない」ですがここは神聖な感じがしました…
特に水神天宮の祠は撮影しないほうがよいかな、と思うほどだったね
神明神社を後にし、次なる目的地「水神天宮(篠島城跡)」へ。
神明神社から水神天宮までは徒歩10分くらいの場所にありますが、途中の上りがきつく15分程度かかってしまいました。もうひざが痛くて…
水神天宮は篠島を一望できるような丘の上にあります。(実際は木々に覆われ見渡せない)水神天宮を祀った一帯が城山で室賀氏の城跡になっています。島に漂着された義良親王はこの城を御座所としたそうです。この内容は篠島公式ホームページに記載されていましたが、これ以外に水神天宮に関する記述は見つかりませんでした。
しかし、ここは他の場所と違い何かを感じるような場所なんですよね。空気が張り詰めているというか…かえるはそういうのには疎いのですが、水神天宮はあまり撮影しちゃいけないのかなと思わせる雰囲気があります。
特に中心部にある小さな3連の社については、撮影しないほうが良いのではないかと直感的に思い、正面からの撮影はせずに立ち去りました。帰宅後に水神天宮の動画を見返しましたが、かえるは明らかに社を映さないように動画を撮影していました。こういう感覚も大切にしていこうと思います。
室賀左近太夫秋季が篠島に築いたとされる篠島城が始まりとされている。
水神天宮(篠島城跡) 地図
水神天宮(篠島城跡) 施設情報(表はスクロールできます)
篠島2日目第三の目的地「神宮干鯛調製所」に到着!!
篠島の有名なものとして挙げられるのが「おんべ鯛」!
伊勢神宮に奉納される鯛だね!
おんべ鯛とはおんべ鯛奉納祭に使用される鯛で、塩漬けにされた鯛のことを言います。このおんべ鯛を作る場所がこの「神宮干鯛調製所」なのです。
おんべ鯛奉納祭1,000年以上続く祭礼とされ、毎年決まった数のおんべ鯛を伊勢神宮に奉納します。
篠島は1,000年近く前「志摩国答志郡篠島」と呼ばれていました。篠島は尾張南端、東三河西端からかなり近いのにもかかわらず、三重県の扱いになっていました。これは伊勢神宮と篠島が密接な関係にあったことがわかります。
また、神宮干鯛調製所があるのは中手島という地名です。これはもともと篠島とは離れていた中手島という孤島にあったのが理由です。しかし現在は、篠島を埋め立てて中手島と陸続きになっています。
埋め立てて陸続きになっているものの、中手島自体は伊勢神宮の社領なのだそうです。
神宮干鯛調製所への門扉は解放されており、誰でも神宮干鯛調製所を見られます。私も神宮干鯛調製所を見てきました。山頂には立派な社と小屋があり、小屋で鯛を加工しているそうです。
おんべ鯛を奉納するときの「おんべ鯛奉納祭」は1928年に一旦途絶えたものの、1998年に再度復活し現在も行われている。
神宮干鯛調製所 地図
神宮干鯛調製所 施設情報(表はスクロールできます)
「愛知県南知多町篠島」での旅程をすべて終え帰宅!!
船の時間も都合もあり神宮干鯛調製所で旅程は終了!
篠島ではいろいろな景色・施設を見れて面白かったね
帰りは篠島港にある「島の駅SHINOJIMA」でお土産を購入し、疲れたのでアイスコーヒーを飲みながらゆったりしていました。すぐに帰りの船の時間になったため、船に乗船。
しかし、篠島発の高速船には私を含めて5人しか乗船しておりません…本当に篠島は観光客が少ないですね…
帰りに寄港した日間賀島ではかなりの人数が乗船してきましたので、ほとんどの人が日間賀島へ観光に行ってしまいっているようです。定員125名の高速船に乗船しましたが、日間賀島西港を出港するときには半分くらい座席は埋まっていました。ということは、60人ほどは日間賀島観光なんでしょうね。
これにはなんかちょっと複雑な気持ちになってしまいました。
確かに日間賀島は観光に力を入れていわゆる「映えスポット」も用意されています。しかし、一方篠島は観光資源こそあるものの島自体小さいのと、明らかに観光に割く「お金」がないのがわかります。
この差を目の当たりにすると複雑な感情が湧いてしまいますね。
喫茶仁の娘さんがいろいろと観光名所の話をしてくれたり、宿泊者がかえる一人なのに接客を丁寧にしてくれたおかみさんのこととか考えたりしてしまうと…ね。
でもこれが現実なんですね。
篠島旅行は思い出に残る非常によい旅となりましたが、それと同時に観光業のことを考えさせられる旅にもなりました。
それでは、愛知県南知多町篠島旅行記はここまでとします!ブログをご覧いただきありがとうございました!
愛知県南知多町篠島旅行【前編・2023年3月】の記事はこちら!!
愛知県南知多町篠島旅行【シーサイド篠島】の記事はこちら!!
今回の旅の宿泊ホテルはじゃらんで予約しました!!